創業者の熊谷秀昭は満州で生まれ、戦争で父を亡くし、 少年時代に終戦を迎えて信州伊那に引き上げてきたのです。 やがて成人し上京して、昭和31年(1956年)頃は、 銀座あたりの喫茶店で働いていました。
ある日、そのお店の常連さんから 「美容院を廃業して故郷に帰るので、後を引き継いでお店をや らないか」 と持ちかけられたそうです。「それじゃあ」と引き受けて、美容院を喫茶店に改造してスタートしたのがこのお店です。
店名の「越路」は元の美容院 の名前をそのまま残したそうです。 名付け親の美容院の主人は新潟の人でしたが、 お店を「越路」と名づけた理由は伝わっていません。
越後路を現す「越路」と越路吹雪の「越路」。どちらもありうる気がします。
何しろ昭和31年の越路吹雪は、32歳。 宝塚退団の5年後でレコード大賞受賞の9年前という 人気急上昇の真っ最中でしたから、熱狂的ファンだったとしても不思議ではないのです。
今、昭和の映画が話題になっていますが、まさしくその時代 越路が産声をあげた当時の、活力に溢れた東京の雰囲気が いまだに店内に漂っているような気がいたします。
3代目の店主は、2004年頃からブログで店の紹介をしていました。この記事は2005年11月7日のブログの引用。
ブログは閉店とほぼ同時に閉鎖されましたが、インターネットアーカイブに残っています。
いまでも「越路」という名の由来を聞かれますが、彼のブログがなければそれもわからぬままだったかもしれません。